令和6年4月25日に日本消化器外科学会から重要な声明が発表された。”地域における消化器外科の診療体制維持のために必要な待遇改善(インセンティブの導入など)について、
ご理解と後押しをお願いします”というタイトルで、消化器外科医を取り巻く、現状と対策などについての提言がなされている。研修医の生の声を聞いてみても、外科志望の学生は少ない印象だ。この状況について、同じ’外科医’としての立場から考察してみる。
消化器外科学会の会員数は2011年の2万人をピークに減少しており、20年後の2043年にはおよそ半分になると試算されている。外科医、特に一般外科や整形外科は手術件数が700床程度の地域の中核病院であれば1000件前後になることが多いと思う。つまり一日に最低3件以上は手術がある計算になる。大きい病院であれば10人前後の外科医がいて、複数のチームで手術にあたるが、ほぼ外来以外はほぼ毎日手術をしている。日中手術をしているため、外科医は朝早く病棟を回診し、採血結果を確認して検査、点滴、投薬の指示などを手術前までに済ませる。また手術後も次の手術患者の術前術後説明、術前プレゼンテーションの準備やカルテ記載、サマリー(退院時要約)、紹介状の作成などの記録作業が待っている。マンモス病院の若手医師はこれらの日常業務をほぼ毎日行う必要があり、丁寧に仕事をする医師であれば帰宅する時間が21時、場合によっては24時近くまで時間がかかることは当たり前だった。
私の専門である脳外科もほぼ同様の仕事内容ではあるが、脳外科の手術件数は多いところで年間300件程度であり、定期の開頭術などの大きな手術は週に1-2件程度で、半分くらいは緊急手術である。定期の手術が一般外科、整形外科に比べて少ないため、手術や検査、外来がない日に上記の記録作業や説明などを行うことができる。一方で緊急手術の可能性があるためほぼ毎日待機しておくことが求められる。心臓血管外科は一昔前までは、冠動脈バイパス手術といって、心臓の血管に狭窄があると、前胸動脈という血管を血流不足に陥った抹消側の冠動脈につなぐのが花形手術であった。よく天才外科医としてドラマなどで取り上げられる医師だ。最近はあまり行われていないが人工心肺を利用して、心臓を止めて血管吻合を行っていたが、その後オフポンプといって動いている心臓に血管を吻合したりするのが主流になっていった。いずれにしても高難度な技術である。他にも人工弁置換術や大動脈瘤に対する人工血管置換術なども大手術で、術中死も起こりえる極めて高度で技術・経験ともに求められる。術後心室細動などの不整脈で心停止する可能性もあるため、心臓外科の先生がよく、術後集中治療室で一晩中モニターとにらめっこをしている風景を見てきた。従って執刀医になれる医師は限られており、脳外科もそうであるが、執刀医は部長クラスの人間が行うことが多い。さらには、カテーテル治療の進歩でこれらのバイパス術や人工弁置換術、人工血管置換術も血管内治療で行えるようになっており、手術は血管内治療でできない難しいものばかりになり、ますます心臓血管外科のハードルが上がっている。心臓血管外科医はもはや絶滅危惧種であるともいえる。
以上のように、外科目線でみれば手術というのはともてリスクが高く、一定の確率で合併症や後遺症、最悪は死亡なども起こりえるため精神的なストレスが大きい。一度あるは何度か術後経過のよくない患者を経験するとストレスやリスクを避けるためメスを置く外科医も何人も見てきた。それなのに、勤務医の場合、基本的に給料は卒業年度とその科での職位(部長、科長、レジデント)で決まるため、給料に差が出るのは時間外労働時間だけである。昨今は働き方改革で時間外労働も制限されるため、忙しい、ストレスフルな診療科やそうでない診療科でほとんど給料は変わらない。また、下積みの期間が長く、一人前として扱われるのに少なくとも10年以上はかかると思う。部長になれる医師は一握りで、一昔前ならハラスメントも当たり前の世界である。外科医って何が楽しくて生きているんだろうと思うこともある。
外科志望あるいは外科系の専門を選んだ先生を見てみると、やはり一種のあこがれのようなものがあり、採算度外視あるいは体育会系の’ノリ’で診療科を選んでいるように思う。コスパ、タイパが悪いのである。また、M気質があってワーカホリック、あるいは危険と隣り合わせでないと生きている実感が沸かないドーパミンが少々のことでは出てこないような人が多いような印象だ。家の帰れる時間や旅行に行けるまとまった休みもとりにくいため、最近の若者から見れば、理解不能なのかもしれない。
理想的な話をすれば、外科医の醍醐味は、技術で患者を治すことである。大きくなった腫瘍は最近では抗がん剤や放射線治療なども進歩しているが、やはり完治できるのは腫瘍全摘出できているケースがどの臓器も多いと思う。どんなに上手い外科医が手術をしても全摘出できないケースもあるが、取り切れる腫瘍を確実に取れた時の術後CT・MRIを見るとスカッとする。もちろん患者さんの経過もよいので外来で患者さんに会うのが楽しみだ(経過が悪い患者さんでは気分が落ち込むこともあるが、不安にさせてはいけないので堂々としていなければいけない)。外科医の喜びは山登りのようでもあるが、技術に溺れるとよくないと思う。よく、”〇時間で手術を終わらせた”とか”何件手術をした”というのを自慢げに語ることがあるが、それを前面に出してくる人は自分はあまり好きでない。手術はスポーツではないのだから。大切なのは、患者さんやその家族の満足度である。脳外科の場合、地域の総合病院での花形手術は脳動脈瘤の開頭クリッピング術や腫瘍摘出術である。しかし、最も喜ばれる手術は慢性硬膜下血腫に対する穿頭洗浄術といって、局所麻酔で頭蓋骨に2㎝くらいの小さな穴をあけて、脳の表面に溜まった古い血をチューブを使って吸い出す1時間もあれば終わる小さな手術である。患者さんは大体血腫で脳が圧迫されて歩きにくくなったり頭が痛くなるが、術後比較的すぐに症状は改善する。開頭クリッピング術や腫瘍摘出術は一番よい状態が術前で、術後に状態が改善するケースのほうが少数である。脳外科の穿頭洗浄術は、一番最初に教わり、執刀できるようになる手術で、それしかできないと脳外科医としてはカッコ悪いが患者さんにとっては名医にもなりえる。突き詰めると患者さんの幸せが外科医の幸せになる。手術が上手になって周りから認めてもらえる喜びは本来は副次的なものだ。
最近は、研修医を修了するとすぐに美容外科に進む医師もいるそうだ。コスパ、タイパを考えればそのほうが幸せだろう。最近外科系に進む医師が少ないのも分かる気がする。外科系に進む利点を挙げるとすれば、以前このブログにも書いたが、数年後には外科医の希少性がでてくることだ。世の中は需要と供給でなりたっているので、外科医の数が少なくなっても手術を必要とする患者さんがいれば、インセンティブもついてくるだろうと思う。また、将来的な人口減少や医学部の新設や定員増による医師余りの状況が今後到来する可能性を考慮すると、現時点で外科系に進むのは悪い選択ではないように思う。また人工知能で検査結果や問診を打ち込むことで自動で診断や処方箋がでるようなことも、簡単な診療では可能になるのではないかと思う。やはり手に職を持っているというのは武器になる。オンリーワンを目指すのも悪い選択ではないだろう。また、損得だけで生きていてもどこかで必ず満足できないように人生はできていると自分は考えている。人間は人との関係性で生きている社会性のある生き物である。単独行動で一生を終えて、衣食住が整えばそれだけで幸せになれるようには一部の人間を除いてできていない。’いろいろあるけどなんだか寂しい’のは人間だからだろう。外科医は大変だけれども、頑張っているのを患者さんも見ているし、医療スタッフも知っている。忙しいし、仕事ばかり振られるのはしんどいが、自分にそれだけニーズがあると考えると何とかやっていける。年をとって仕事も若い人と同じようにできなくなり、仕事を頼まれることがなくなるほうがよっぽどつらいのではないか。
理想的な話をしてみたが、現実も大事である。上記のようなことを話しても聞きようによってはやりがい詐欺である。やはり、日本消化器学会の提言のように、今後医師数がすくなくなり、必要度の高い診療科にはそれだけ多く診療報酬がつくように、政治家やえらい人には頑張ってほしい。ほとんどの外科医は武士は食わねど高楊枝のような状態を美徳としているので、自分たちの利益について声を上げるというのはよっぽどの状況であるということを認識して頂きたい。