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その他

人は感動するために生まれてきた

皆さんもニュースやなんかでご存知だと思うが、28年間動物実験施設で過ごしたチンパンジーが初めて空を見た時の表情が話題になっていた。その表情は驚きと興奮、喜びが混じったものでなんとも言えないものだ。最近色々考えていて、結局人は感動を求めて生きているように思った。自分の人生を振り返りつつ考察してみる。

幼稚園とか小学校低学年の頃の自分の興味はおもちゃやお菓子だったと思う。夏休みに毎朝早起きしてラジオ体操に行くとスタンプをその日の日付のところに押してくれ、最終日にお菓子をくれた。嬉しかった。小学2年生くらいだったか、一日十円の小遣いをもらっていた。近所の文房具と駄菓子の店があり、三百円のゴムかなんかでプラスチックの車が走るおもちゃがあった。我慢して三百円をためて買いに行った。お店のおばちゃんが”本当にいいの?”と言って確認したが、自分はこれが欲しいと言ってそのおもちゃを買った。嬉しかった。

小学校高学年になると、ドラクエが流行っていて親の目を盗んでは没頭した。楽しかった。中学時代は部活ばっかりやっていて、練習を休みたくても休めなかった。休みは盆と正月だけだった。きつい練習を終えて家に帰ってサイダーを飲みながら、冷房のかかった部屋でプロレスを見るのが最高に楽しかった。高校生の頃はゲームセンターにハマっていた。格闘ゲームが流行っていて、友達とやり込んだ。あっという間にお金がなくなるので、昼ごはん代を削って毎日通った。楽しかった。高校生の頃、初めて彼女ができた。一緒に学校から帰ったり図書館に行くのが楽しかった。フラれたあとは、夜中池の近くの公園で友達と話し込んだ。辛かったが、今思えば楽しかった。

大学生になった。大学生になれば何かが変わると思っていたが、自分は何も変わらなかった。周りの友達は、コンパや飲み会でわけのわからないコールで一気飲みしたりしてはしゃいでいた。楽しくないのに楽しいフリをしていた。今まで楽しかったゲームセンターに行っても楽しくはなかった。しょうがないので、漫画喫茶でとにかくたくさん漫画を読んだ。そのあとレンタルビデオを借りて色々映画を見た。昼夜逆転し、ポンキッキをやっている時間になってようやく眠気が生じていた。友達と麻雀をした。まあまあ楽しかった。負けると悔しかった。お金がなくなった。大学生の頃は時間は腐るほどあった。勉強はほどほどにしかしなかった。

卒業して働き出した。まあまあ忙しかったがなんとかなった。暇じゃなくなり、忙しくなったせいかあまり色々考えなくなって精神衛生は改善した。患者さんがどうというよりは、仕事を覚えてこなすことで精一杯だった。患者さんと向き合っているのはほぼ上司の役目だったかもしれない。あまり、何も考えず当直の時は漫画かテレビを見て過ごしていた。自由になるお金もできたので、飲みに行っても好きなものが注文できた。飲み会で後輩なんかに奢っても平気だった。

結婚した。子供ができた。家での生活では、独身と違い制限が増えた。責任も大きくなり、自分に使えるお金も時間もだいぶ減った。仕事もだんだん、任される内容も重くなり、呼び出されることも増えた。しんどかった。大学に戻ったあとは、研究、学会発表、申請書作成等々、事務仕事が増えた。締め切りのある仕事が増えて焦燥感が常にあった。子供も大きくなり、かかるお金もどんどん増えた。自分に使えるお金は益々減った。後輩に奢っている場合ではないがそうもいかない。

今までの人生を振り返ると、無邪気に楽しかったのはせいぜい中学生の頃までだ。それからは悩むことも多いし、興奮することもなくなった。いつまでもゲームで遊んでいても昔のような興奮は得られない。高いお金を払って、美味しいと言われるものを食べてもそれほど感動もしなくなった。昔から行っているローカルなラーメン屋で食べている方がよっぽど充実感を感じるかもしれない。海外の学会やなんかに参加すると楽しいが、やはりだんだん慣れてくる。歳のせいか、いろんなことに慣れてきたせいか脳内麻薬が発生しなくなったのかそんなに楽しいことも無くなってきた。人によっては麻薬やアルコールに溺れるのかもしれない。

数少ない楽しさ、嬉しさは、難しいことをやり遂げた達成感、論文が採択された瞬間、家族や友達の役に立っている実感などで感じるようになった。小さい頃は、もので幸せを得られ、その後はお金で解決できるようになり、最近はお金では幸せは得られなくなってきている。幸せは個人によって全然違うと思うが、自分は幸せ=’感動するように正しい方向に向かっている状態’だと思っている。自分が感動する、人が感動する、何かを頑張ることで自分が感動したり他人がそれで感動する・影響を受ける循環が大切なのではないかと思う。自分は仕事にしても、それが患者、同僚を感動させることができるものでありたいと思っている。感動するには、夢を描き、努力し、挑戦し、継続する必要がある。感動を求めて、人は進化してきたんではないかと思う。感動を発生させるトリガーが遺伝子に刻まれているとすれば、それが人間の道標になっているように思う。誰が一体作ったのかわからないが。

ABOUT ME
Girimaro
40代脳外科専門医、救急科専門医、アメリカ留学経験あり 日々考えていることを記録します https://blog.with2.net/link/?id=2073035

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