マウンティングという言葉が出てきたのは最近だが、この行為は昔から存在していた。頭の良さ、足の速さ、しゃべりの面白さから始まり、学力、容姿、収入などだ。”キャラがかぶる”などの概念が存在しており、各人の属性が分類される。同じ属性同士は比較が可能なので、そこでお互いの値踏みが始まる。
K-1かなんかの格闘技大会のキャッチコピーで”人類最強を夢見て最後まで残った男たち”とかなんとかいうのがあったが、多くの人はどこかの段階でその夢を諦めていく。勉強、スポーツ、ピアノなどでだ。”この人には敵わない”という日がいつかは必ず来ることになる。
自分のアイデンティティー(キャラ、属性)が行き詰まると、その社会での自分の立場が曖昧になり不安になる。マウンティングというのはそのような状態を引き起こす。相手の得意分野を潰して優越感に浸るのだ。そのような状態になったときにいかに自分を守るかというのは生きていく上では重要だ。発奮して頑張って勝つようにするか、負けを認めて他のことを頑張るしかない。大人になれば、面倒な衝突を避けるためにあえて比較することはしないが。
医者のアイデンティティーは勉強ができることや医者であることそれ自体ということが多い。最近はあまり見ないが、なんであんなに偉そうにできるのだという医者はたくさんいる。医者じゃなければ、ただのおじさん(おばさん)である。ある意味、そこまで行ければ人生勝ちかもしれないが、そのおじさん同士でもマウントの取り合いは発生するわけで、お互い近づかないか、日々いがみあう。医者でなくなっても相手にされるようなキャラかどうか客観的にみる力が必要だ。勉強ができてもその辺を理解できない人は存在する。
マウントされている時や交渉の時は、相手に自分の”底”を見せないことが重要かもしれない。何か余裕があるように見せると、お互いチキンレースになった時に相手にプレッシャーを与えることができる。このような時に、あまりに自分を守ろうとするとかえって勝負に負けてしまう。ただ、実際はほとんどの人は”どうぞどうぞ”と白旗をあげて相手に譲るだろう。見ている人は状況がわかるので、わかる人にわかってもらえればいいのである。相手と距離を取ることは逃げることとは違う。ただ、情熱を持って取り組んでいる分野だとそうはいかない。もし戦う時は相手にスラムダンクで言うところの”断固たる決意”を見せる必要がある。ただ、本気で戦う時はとても消耗してしまうので、賢い人は私事だけの理由で戦うことは滅多にしない。
どんな相手でも全部の領域で相手が上回るということは無いので、どこか相手よりも自分が秀でているところができるように、仕事以外の生きがい、人間関係を構築することも大切だと思う。リタイアして役職から解放されて何も残らないようではその後の人生が辛すぎる。結局人に影響を受けずに人生を楽しんでいる人が最強だと思う。楽しめるものは、人に迷惑がかからない(多少かかっても)範囲でなんでも試してみるといいかもしれない。焦って見つける必要はないが、三日坊主だと面白さがわかる前にやめてしまうかもしれない。人生なんでもOKだと思う。やったもん勝ちである。