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正直に全て話すのは正しいのか

職業柄、患者と接するときに、どうしても手遅れな状態で病院に患者が搬送されることがある。その時に、実際は早く到着すればもう少しやりようがあったのになということもあるのは事実である。ただ、事実をそのまま説明すると家族はおそらく一生後悔するかもしれない。本来、病状説明や治療方針の相談では、ありのまま説明するのが基本だと思うが、このような状況でありのままに説明するのが正しいのかどうかは判断が難しい。どうにもならないからだ。場合によっては事実を曲げない範囲で、「とても重症でおそらく助からなかったでしょう」と説明する場合もあり得る。また、重症で手の施しようがない状態で病院に運び込まれた場合でも「普通なら、この状態だったら命がなくても不思議ではない、すごい体力だ」と説明することもあり得る。いずれにしても、田中角栄も”結婚式には行かなくても、葬式だけは行けという”と言ったように、人生の最期(の可能性が高い状況)は、本人にとっても家族にとっても非常に重要だ。本人、家族にも後悔しながら最期を迎えてほしくないと思っている。

医療現場でもそうだが、実生活でも全て事実を包み隠さずに話すのもどうかと思う時がある。”お互い、隠し事なくなんでも話をするんです。”という関係の人も当然いると思うが、そうではない人も同じくらいたくさんいると思う。自分が正しいと思っていることが、相手にとっても正しいと思うのは、自分は傲慢ではないかと思っている。話あえば何でも分かり合えるというのはいささか強引な気で、お互い分かり合えない部分を、突き詰めて行っても結局平行線で、どこまで行っても交わらないことはある。違うことを尊重する方がむしろ大切ではないかと思うこともある。違った考え方を許容する方が話はまとまりやすい。全て白黒はっきりさせようとすると、どこかで必ず衝突するか分かり合えない部分が出てくる。これに関しては、友達なんかと話すこともあるが、色々な意見があると思う。相手に自分の気持ちを伝えることは重要だが、相談する前に大体着地点が見えてしまい、堂々巡りになってしまうのをついつい気にしてしまう。実際話すと、誤解があったり、気持ちが晴れてうまく行くこともあるが、その場合は大体自分の中でその結末に薄々気づいている。一方で、自分のような衝突を避けて無難にやっていくだけでは、新しい変化をもたらす力に欠けてしまう。従来のシステムを気にせずに、ある意味無神経にそれを破壊していく人々も重要な役割を持っていると思う。学生時代に、自分があまり定まっていない時は自分の本来でないキャラクターを出そうとしていたこともあるが、最近はあまり無理をしない。色々な役割があって良いと思っている。

SNSを見ていても、なんでも情報をオープンにするのはどうかと思うことはよくある。知らなければ、いい情報を知ってしまい、相手を傷つけることもある。明るく社交的な人は、その辺をあまり気にしないこともあるが、奔放すぎて相手を振り回すこともあるので注意が必要だ。その覚悟ができていれば大いにオープンにして、話題を提供して欲しい。大体、賢い人間は言葉にしなくても、態度や会話の文脈、雰囲気などから読み取って、相手の考えはお見通しになっていることが多い。基本、自分の考えはバレていると思って言動する方が誠実に見えると思う。

全てを正直に話さないことは嘘をつくと言うのとは違う。基本的に、自分の考えていることはみんなにばれていると思って生活し、適切なタイミングと内容を正しい方法で話すことが大切ではないかと思う。口は災いの元というがまさにその通りである。色々経験しないと、状況判断が難しいので、言わなくても良いことを言った時は反省し、後悔せずに、次の機会に生かせれば良いのではないかと思う。

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Girimaro
40代脳外科専門医、救急科専門医、アメリカ留学経験あり 日々考えていることを記録します https://blog.with2.net/link/?id=2073035

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