夏の暑さがお盆前にピークを迎え、その後台風が何度か日本を通り過ぎた後に、涼しくなり秋の気配がしてくる。コリオリの力といって、北半球では自転の影響で台風が左回りに回転しているため、台風が接近してくるときに蒸し暑く、通り過ぎると涼しくなるそうだ。
今現在、この原稿を書いている時分は秋である。夏は蒸し暑く、湿度が高いためじめじめしており嫌いだ。一番暑い時よりもむしろ低気圧が近づいてきている時が最も過ごしにくい。その頃をなんとかやり過ごすと、だんだん涼しくなってきて風が気持ちいい。日が沈むのも早くなり、なんだか物悲しい雰囲気になる。昔は田んぼの稲刈りが済んだ後に、野焼きをしていることがあって、その匂いを嗅ぎながら、半袖半ズボンで寒さを感じながら家路についたものである。
年々年をとると、一年がすぎるのがとても早い。大体年末年始に当直があたることが多いので、年越しが病院であることも何度か経験した。総合格闘技、笑ってはいけないシリーズ、紅白歌合戦と大体同じ内容の放送が続くので、デジャブかと思うほどである。一年を早く感じるのは、新しく感じるイベントが少なくなってきたからかもしれない。春が来ると、異動があって、誰かが去り、新人が入ってくる。席替えの季節である。連休くらいに学会の抄録締め切りが迫り、急いでデータをまとめると夏休みシーズンが到来する。秋には学会があり、科研費の締め切りがやってくる。そうこうしていると年末になり一年が終わる。
長年同じ施設に勤務していると、目新しいことがなくなり、ほぼほぼサザエさん、笑点状態に突入する。メンバーもあまり変わらない。あと何年この仕事を繰り返していくのかと自問する。どんなに良い職場でも、長年同じことをすると飽きてしまう。常に何かに試される、挑戦する状況がないと面白くない。
よく言われていることであるが、人生は小さな選択の連続である。常に試されている。人はいろいろな性分を持っていて、その癖からくる問題に常に対処しなければならない。怒りっぽい人、本音が言えない人などその性格からくるトラブルが常に付き纏う。自分はこれを、神様の宿題だと考えている。その問題を解決できるのは自分だけである。トラブルがあると他人や環境のせいにしがちであるが、結局は自分でトラブルを引き寄せていることの方が多いし、そうでなくても自分の捉え方を変えるだけでストレスを感じにくくすることができる。他人や周りを変えるのは並外れた労力を要する。
最近『夜と霧』というヴィクトル E フランクルが書いた本についてのブログを読んで感銘を受けた。「私たち人間がなすべきことは、生きる意味はあるのかと「人生を問う」ことではなくて、人生のさまざまな状況に直面しながら、その都度、「人生から問われていること」に全力で応えていくこと」であるとフランクルは言っている。なんのために生まれたのか、生きているのか考えてもわからない。日々、人生から投げかけられてくる問題に逃げずに取り組むことが大切なんだと思った。