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天路の旅人を読んで

今回の投稿は書評である。旅文学で有名な沢木耕太郎氏の著書で、西川一三という太平洋戦争中に中国からチベット、インドにかけて潜行した人物を、25年の歳月をかけて描いたものである。自分なりにこの本から得られたメッセージのようなものを書いてみたいと思う。

この作品は2022年10月に新潮社から出版され、沢木氏にとって9年ぶりの新刊とのことだったhttps://www.shinchosha.co.jp/book/327523/。新潮社のホームページの紹介文をそのまま引用すると、”第二次大戦末期、敵国の中国大陸の奥深くまで「密偵」として潜入した若者・西川一三。敗戦後もラマ僧に扮したまま、幾度も死線をさまよいながらも、未知なる世界への歩みを止められなかった。その果てしない旅と人生を、彼の著作と一年間の徹底的なインタビューをもとに描き出す。著者史上最長にして、新たな「旅文学」の金字塔。”である。

主人公の西川一三は20歳台中盤の頃に、戦時中の満洲鉄道に就職し、そこで駐蒙古大使館が主宰する情報部員養成機関である興亜義塾に入塾する。興亜義塾では、現地人になりすますために蒙古人の家に、1年くらい居候して語学を習得するそうだ。戦時中の昔で、衛生環境は良いとはいえず、風呂に入る習慣がない蒙古人の生活は当時の日本人にとってもなかなか厳しいものだったそうだ。しかし西川は順応し、蒙古人のラマ教の僧侶に扮し、スパイとして旅を続ける。西川は国に貢献したいと考えており、当時戦争中だった中国との国境を超えて、内陸を旅し、さらにはラマ教の聖地であるチベットまで途方もない距離を現地人と共に旅した。当初はスパイとしての役割が原動力になっていたが、風の噂でどうやら日本は敗戦したらしいということを知り、次第に純粋な未開の地への憧れが、その旅の動機に変化していく。

この旅の途中に、西川は完全に蒙古人になりすます。蒙古人のラマ僧、らくだやヤクとともに旅をして、茶を沸かし、ツァンパという麦を炒ったものを主食とし、たまにヤクのミルクや肉を食して生活をする。雪の降るような状況でも革の上着を布団がわりに眠り、灼熱の砂漠地帯も我慢強く踏破していく。到着したチベットでは、ラマ僧として修行を開始する。修行を開始するのは、初めは托鉢などのお礼にお経を読んだりするためのものだったが、次第に修行により、内省が促されラマ教の修行そのものに価値を見出していく。ラマ僧にとっては聖地巡礼は至上のもので、故郷に帰ると一目置かれるということで、それを口実に仲間を作り、最終的にはブッダの生まれた聖地ブッダガヤを訪れるという目的で、チベットからヒマラヤの峠を超えてインドに至る。

西川は旅の途中であった現地人が、自由にその土地の獲物を仕留め生活をするスタイルに憧れを持っていた。沢木耕太郎も、確かテレビでこの本を取り上げた番組の中で、誰にも頼らない生き方に憧れるというようなことを言っていた。西川は、旅の最初に日本政府からそれなりの旅の資金を得てはいたが、最終的にはラマ僧という立場と人の繋がりで自由に旅をする術を学んでいった。時には針などの交易品でお金を稼いだり、時に托鉢で旅をしたり、歌を歌うことを覚えてお金を稼いだり、バックパッカーやヒッピーのようである。物語の途中で、西川は、不潔な環境、寒暖の差の激しい過酷な状況や飢えの恐怖などに何度も遭遇するが、順応し、乗り越えていく。通常の生活ではなんでもないようなことに幸せを見出したりして日々生きていく。また、道中には同僚のラマ僧が老後の面倒を見させるために、貧しい村から買った9歳くらいの男の子は誰に言われることもなく、黙々と仕事をこなした。この子は、最終的には天然痘で短い人生を終えることになる。その直前に訪れた村であった祭りで、簡素なおもちゃを買い与えると屈託のない笑顔を見せていて、西川が忘れられなかったというシーンも登場する。同僚のラマ僧も、その子をとても可愛がっており、一緒に生活するうちに、やがて肉親以上の存在になっていった。

この作品を読んで思ったことは、結局ほとんどの物事はどうでも良いことで、何もなくてもどうにかなるのではないかということだ。アメリカ留学時代にはボロボロの20万キロ近く走っているカローラに乗っていたが、なんら問題なかった。毎日週末に作りおきしていたカレーやおでんを食べていたが、普通に美味しかった。服も買う必要はないし、買いたいものもあまりなかった。自分は超のつくような金持ちでは全然ないし、普通の人ができないようなラグジュアリーな経験もしたことはないが、おそらくどんな生活をしていても結局慣れて新鮮味がなくなるとつまらないものになるだろうと思う。普段の生活はできるだけ、無駄がないように気をつけているが、最終的には感動するために人生過ごしており、そこにお金を使っているような気がする。西川一三のように、ただ純粋に未開の地に足を踏み込んでみたい、誰もみた事がない絶景を見てみたい、そんな感動を求めて日々生きているのではないかと思う。感動というものは、簡単に手に入るものではなく、やはりそれなりの代償は必要かもしれない。ヘリコプターでエベレストの山頂に到着するのと、自分の足で登るのではやっぱり違うだろう。以前の記事でも散々書いているが、色々な経験が増えることで、感動の味もどんどん落ちてくる。それに腐らないで挑戦を続けていくのが今のところ、自分が感じる幸せへの道標となっている気がする。

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Girimaro
40代脳外科専門医、救急科専門医、アメリカ留学経験あり 日々考えていることを記録します https://blog.with2.net/link/?id=2073035

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