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その他

人生の終わりについて

最近、悪性脳腫瘍の90代の患者さんを診察した。左前頭葉の腫瘍で、認知機能の低下と右に体が傾く、ものが口からこぼれる症状で来院された。長男さんが病状説明のために来院された。”もう年ですから”と達観されたご様子であった。自分の祖母も97歳で亡くなったが死ぬことは自然なことで、人はいつかは死ぬものである。死にまつわる自分の記憶を辿ってみた。

自分が最初に”死”を意識したのは、小学生5-6年生くらいだったと思う。ノストラダムスの大予言というのがあって、1999年に人類が滅亡するというものだった。当時は、オカルトブームみたいな雰囲気があり、ゾンビ、バタリアンなんかのホラー映画、マイケルジャクソンのスリラーのPV、ジョーズなんかの恐怖映画が放送されておりグロい映画がまだコンプライアンスに引っかからない感じだった。矢追淳一のUFOの特番や雑誌のムーなんかがあって、今より情報が少ない分、嘘か本当か分からないため、ある意味リアルで怖さがあった。ノストラダムスの大予言が本当に当たるのか?当たるとしたらどんな死に方をするのか?とても気になった。当時、友達と色々話をしたが、結局自分なりに出した結論は”1999年まで生きれる時間は大人も子供も同じだから、もうしょうがない”というものだった。早く生まれて、色々すればよかったとか考えたが、この考え方になり少し落ち着いた。結局、人類は滅亡しなかった。

中学か高校の時に、死んだらどうなるのか気になった。人間は死ぬと分解されて土に還る。物質的なものは常に入れ替わっていると思う。生まれた時から体内にある物質がどの程度体に残っているのか自分は知識を持ち合わせていないが、それはそう多くはないだろう。だとしたら、自分の意識はどこからきたのだろうかと考えた。図書館で、生命の始まりみたいな本を見つけて読んだ。最初は有機物で、それが増殖したり、複製するのに材料が必要なので、その材料を見つけるための動きができるものが出現したことが、生命の始まりみたいなことが書いてあった本を見つけた。例えば、アメーバがいたとして、餌になる食べ物を見つけやすいようにさまざまな器官が発達してきたようなイメージだ。だとすれば、人間に備わっている機能・思考も元を正せば、単純な餌があったら、その方向に反射的に動くような触覚と変わらない。それは意識と言っていいものなのか、ただの複雑な反射のようなものなのか。さらには、ニュートンの力学のようなもので世界の動きが説明できるのであれば、大昔からものがどのように動くかは予め決まっているのではないか。人には選択肢はなく運命的なもので一方向にしか世界は動かないのではないかとも考えた(物理の知識は持ち合わせていないので、確か反証があったと思うが、ここでは触れません)。宇宙の始まりがどこで、どこに向かっているのか?宇宙に限界はあるのか?考えるだけで恐ろしくなる。最終的に、自分は考えるのをやめた(ジョジョの奇妙な冒険でカーズが宇宙空間に漂うことになる時のセリフをヒントに)。頭でっかちで、考えても結局答えは見つからないし、実践しないと分からないことの方が多いと思った。その時は点でも、後からそれが線になることの方が経験的に多い。

ひと昔に比べると今の人は一回り若いと思う。40歳くらいでも、一昔前だと30歳くらいの感じの人が結構いる。福山雅治も若い、大地真央も若い、一般人でも若く見える人は若いし、中身も若い。一方で、昔の人はすごく老けて見える。石原裕次郎とか30代には石原プロを設立しており、当時の映像を見ると、貫禄がありどう見ても50代にしか見えない。立場が人を育てるというが、昔の人の方が一人前になるのが早かったのか?戦国時代は元服が15歳くらいだったと聞く。坂本龍馬も、活躍していたのは20代で、死んだのは33歳だった。今の政治家で、30前後で日本を動かせる人はいるだろうか?武田鉄矢のラジオかなんかのネタだったと思うが、当時の平均寿命は44歳くらいだったので、今の寿命は80代であるからほぼ半分になっているので、当時の30は現在の60歳くらいでちょうどになるみたいなことを聞いて、なるほどなと思った。医者をしていても、少し前の80代が今は90代になっている印象だ。80代でも仕事をしていて、割と自立して生活している人が多い。70歳代だとまだまだ働かないといけない感がある。最近は芸能人やなんかでも歳の差カップルが多い。10歳以上離れているのもザラである。精神年齢も年ほど離れていない感じがする。今の40歳くらいの人は、昔の大人ほど物分かりが悪くはないと思う。昔の人ほど、肉体労働をする必要がなくなったので、酸化ストレスが少ないため若いのか?食生活が改善してきたから若いのか?何が原因かは全然分からない。

でも流石に90代になると、だんだんボケてくる。冒頭で触れた患者さんも、認知機能は落ちており、周りで起こっている物事に無頓着になり、分からなくなってくる。それと共に自然にご飯を食べなくなる。自分の祖母を含めて、認知症になっている人を見ると大体食欲がなくなり、飲み込む能力があっても自分から食べない人が多い気がする。病院にいるから、鼻から管を入れて流動食や点滴なんかを入れることができるのである程度水分や栄養は摂取できるが、自然界だと完全にアウトだ。ご飯を食べなくなったらおしまいだ。それでも、そこに悲哀はあまり感じない。言い過ぎかもしれないが、ある意味、煩悩から解き放たれて悟りを開いたかのようでもある。確かに、道半ばで死んでしまう。嫁子供を残して死んでしまうことはとても辛い。一方で、いつかは死んでしまうわけでそこは平等にその時がくる。自分が嫌なのは、死ぬ時に後悔することである。手塚治虫の火の鳥で、赤子がサボテンみたいな植物にできた乳房を吸い、大きくなって、死んでを繰り返す罰か何かがあり、そのシーンを見てとても気が滅入ったのを思い出す。死ぬことで、生きることに意味が出てくるのではないかと思う。終わりのない夏休みは楽しくないように思う。

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Girimaro
40代脳外科専門医、救急科専門医、アメリカ留学経験あり 日々考えていることを記録します https://blog.with2.net/link/?id=2073035

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