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その他

友人の死

一番親しい友人が最近癌で亡くなった。まだ40代である。あまりにも早い死にただただ呆然とした。自分の青春を共にした人間がいなくなった。思い出を共に語ることができなくなった。友人の死をブログに書くことは気がひけるが、自分の視点で考えたことを中心に綴ってみる。

令和6年1月中旬に突然友人から電話がかかってきた。電話をとる前に切れてしまった。普段あまり向こうから電話してこないやつなので嫌な予感がした。おそらく誰かが死んだか自分が死のうとしているかどっちかだろうと思い、恐る恐る電話をしてみた。電話に出ると、いつもより緊張した調子で、”自分は死ぬことになった。病院で癌と言われ、余命が3ヶ月くらいだろうと診断された”と言っていた。最初は聞いた時に、あまり実感がなかったが冗談ではなさそうなので、かける言葉も見つからなかった。とりあえず、手術になるとのことだったのでお見舞いに行くことだけ伝えて電話を切った。

とりあえず会ってみないことには本人の雰囲気も体調もわからないので、色々時間を調整して術後落ち着いた頃にお見舞いに行った。コロナやなんかの関係で病棟での面会は15分くらいらしく、ちょうど自宅退院の日にお見舞いに行けることになったので、長く話をすることができた。共通の友人で、自分もよく知っている友達がいたので、そいつと一緒にお見舞いに行った。

お見舞いに行くと、意外と元気そうな様子だった。少し傷が痛むが食事も取れるようになって話もできた。本人曰く、手術前は調子が悪くかったが、病院で治療して少し体調も戻って死ぬような説明を受けたが実感が湧かないとのことだった。自分も友達(共通の友人)も同様に実感がなかった。いつも実家に帰省した時に話すような、何度もしている昔話をやはりまた繰り返し振り返り相槌をうって終わる、いつものやりとりだった。友達は仕事のため、自分より少し早く帰った。その後、本人にどんな気持ちか聞いた。正直よくわからんと言っていた。医者から聞いた後に落ち込んだが、体調もそれほど悪いわけではなく実感がないそうだ。体調に気をつけるように伝えて友人の家を後にした。暗い気持ちであることには変わらないが、不安な気持ちの置きどころのない変な気分になった。すごく悲しいわけでもないが、友人のいない世界が想像できない感じ、一体友人はどこに行ってしまうのだろうか?魂はどこに行くのだろうか?化けてまた会いにきてくれるのではないか?など色んな考えが頭に浮かんできた。

自分としては、一番気になるのはやはり本人の気持ちだった。悔いがあるのだろうかないのだろうか。本当に考えていることは言ってくれたのだろうか。もやもやした気持ちで家に帰った。帰りの電車の中で気持ちの置きどころがなく、最終的にはとりあえず傍に置いて見えないふりをすることにした。友人はしっかり受け止めて前向きにいることにして勝手に安心することにした。そうしないと自分がダメになりそうだった。

結局友人は医者の診断通り3ヶ月でこの世を去った。都合3回お見舞いに行っていつも話している昔話をした。お互い秘密にしているようなことを聞いても良かったかもしれないが、お互い聞かなかった。ただただどうでも良い話をして帰った。亡くなる前々日、前日に電話した時は流石にキツそうで早く楽になりたいと言っていた。普通は頑張れよとは言わないものだと思ったが、あえて頑張れよと言って電話を切った。もう頑張るなとはやはり言えない。亡くなった日の夕方に家族から連絡があった。自分は仕事で葬式には参加できなかったが、他の友達の話では眠るようだったと言っていた。

自分はお見舞いから最後の連絡まで泣かなかった。なんとなく友人の死を受け入れてしまっていたからだろう。昔から諦めがちで、足掻くことをしない性格だったのも関係あるかもしれないし、死が不自然なものだとも思っていなかったのもその理由かもしれない。友人はもっと早く検査を受けていれば助かったかもしれないが、それも運命だったのかもしれない。もう神様がこの世で十分頑張ったからもういいと言っていたのかもしれない。自分の中では死を否定することは、なんとなくその友人の人生も否定するような気がして嫌だった。早く検査に行けば良かったとか、どこどこに遊びに行きたかったとかそんな話はしたくなかったし思わなかった。友人は精一杯生きて、悔いなく旅立ったと思いたかったしそうだったと思った。友人には”人生ってこんなもんだろうな。できる範囲でやりたいことはやったし、この先、生きていても同じことの繰り返しだろうな。多分自分も死ぬ状況になったらそう思うと思うよ。”と言った。友人はどうせ他人事だからそんなことが言えるんだろうとは言わなかったし、そんなことは考えるやつではなかった。親しい友人だったからこそ、デリケートな質問や本音も伝えることができた。お互いの性格はよくわかっている。

友人の家にはそいつのお母さんが1人で住んでいた。必ず焼香して挨拶しに行きたかったので、すぐに行った。お母さんに事前に電話していたが、やはり落ち込んでいてその時初めて泣きそうになった。本人がというよりはお母さんがやっぱりかわいそうだった。焼香させてもらい、二時間くらい話をした。高校生の頃、夜遅くまで遊びに行ったこと、大学生の頃にバイクで大阪まで旅行に行ったこと、本人の性格や思い出を話した。思い出を共有できるというのは素晴らしいことだと思った。思い出を語れる人もいなくなるといよいよ生きている意味を疑ってしまうかもしれない。

昔、医局のすごく手術のうまい先生が早くに亡くなり、この先どうなるんだろうと思ったが、意外と周りの人間が代役を果たしてそれなりに仕事が回って行った。人の死はとても大きなものであるが、同時にちっぽけなものかもしれない。この人が死んだらどうなるんだろうと思っていてもやがては、家族や親しい人を除いては忘れ去られていく。無数の星が空に浮かんでいるが、自分もその一つにすぎないように感じた。おそらくみんな映画の主人公のような目線で生きているかもしれないが、登場してすぐに死んでしまう端役のような人生もあって然るべきである。もう人生の大きなイベントはそれほどないだろうが、日々普通の日常を繰り返していくのみである。

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Girimaro
40代脳外科専門医、救急科専門医、アメリカ留学経験あり 日々考えていることを記録します https://blog.with2.net/link/?id=2073035

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