常日頃仕事や日常生活で難しさにぶつかることがある。解決できない問題にぶち当たったときにこれまでの経験値が試される。小さい頃、大人、特におじさんは困ったシチュエーションでのらりくらり振る舞ってやり過ごしているのを何度かみた事がある。領土問題なんかで、自分が小さい頃は、政治家はなんではっきりした態度を取らないのかと思っていたが、大きくなってからその理由がわかったような気がしたので書いてみる。
日本は近隣の国で領土問題を抱えている。北方領土、竹島、尖閣諸島である。ここではこれらの問題について詳細に立ち入るつもりはない。こうした問題は常に国益との判断や国民感情の影響をもろに受ける。それぞれの立場や考え方、主観でお互いの正論をぶつけても話し合いでは解決できないのが現状である。これと似たような状況に、生きていると大なり小なりぶつかる事がある。
自分なりの主張を相手に対してはっきり述べることは大切だが、その結果については常に責任が生じる。近視眼的に行動すると後で恥をかいたり、信用を失ってしまう。また、問題から常に目を逸らして見て見ぬふりをしても、身内から頼りないと思われたり相手に舐められる。このような状況では、ついついどちらかに全振りしてしまいそうになるが、状況が変わるまで中からも外からの圧力にも耐えなければいけないこともある。若い時は、景気のいいことをズバッと言って行動していくのがかっこいいように思っていたが、なんだかそれも違うかなと思う。
どんなに自分が正しいと思っていても、全部自分が正しいというシチュエーションは日常生活ではほぼない。相手の意見も聞かないと始まらない。客観的に物事が見えるようになる時期が来るがどこまで行っても主観的にしかものが見れない人もいる。自分が思うに、そのような人は、感情の起伏が激しすぎて、自分の考えと現実のギャップを埋めることができないんだと思う。人間は都合よくできているので、自分の考え方に合うように物事を解釈しがちである。勉強ができて頭がすごくいいはずなのに、感情のコントロールができずに、自分なりの解釈で人生を生きている(リアルからズレている)人が実際いる。それを自分は感情IQが低い人と勝手に呼んでいる。
相手に自分の考えを理解してもらおうとすると、相手にその下地がないとどうしても話が伝わらない。下地がない人は、わかるようなシチュエーションに仕向けて気づかせるか、段々と変わってくるまでじっと待つしかない。それか自分がお手本として、ちゃんと振る舞うかである。話し合いをして相手を論破しても、本当の意味で、相手に自分の考えを理解してもらうには同じ経験・感覚が必要だ。考え・感性が違ってもうまくやっていかないといけない時は、それこそのらりくらりやっていくしかないのである。
のらりくらりは実は高等テクニックであって、矛盾を自分の中に抱えて過ごしていかないといけないので器の大きさ、あるいは諦めが必要である。のらりくらりの先にある価値をわかっている人にしかできないやり方かもしれない。政治家風に言うと”清濁併せ呑む”と言ったところか。潔癖症、完璧主義の人は1か0なので、この中途半端な状態をキープすることは大変だろうと思う。感情のコントロールがついていかないからだ。大人になるにつれて、完全ではなくなっていく、無傷で負けたことがない人は、果たしてどれだけいるだろうか。不完全な自分を受け入れ、それでも前を向いて頑張るしかないのである。究極、生きているだけで100点満点なんじゃないかと思う。それだけで十分でしょう。