G-GS8JC1XTD1
一般向け

この世は現か幻か?(自分って何?)

人間生きていると、辛いことや悲しいことがあるとなんで生きているのかわからなくなることがある。人生の目的はなんなのか?死んだら人間はどうなるのか?人間はどこから来てどこにいくのか?宇宙はいつ始まったのか?宇宙の果てはどこなのか?考え出すと恐ろしくなるし、誰もこの問いには答えられないと思う。ジョジョの奇妙な冒険でカーズが宇宙空間に放出され不老不死で永遠に漂うことになった時、”そしてカーズは考えることを止めた”というフレーズがあるが、考えるのを止めるしかない。デカルトは言った”我思う、ゆえに我あり”。人間のそのような精神・思考活動は外界からの刺激と、それに反応する脳によって行われる。今回は、自分を形作るであろう、外界からの刺激、人体内部からの刺激、それにより形成される自己について語りたいと思う。

 人間には視覚、聴覚、触覚、温痛覚など常に外的刺激に晒されている。これらの刺激を適切に統合することで、自分の体をベストな状態に持っていくように、体温調整したり、逃げる、獲物を探すなどの行動を行う。一方で、最近は内受容感覚(introception)が特に精神科領域で注目を集めている。内受容感覚は、外界からの刺激ではなく、自分の心拍や腸の蠕動などの体の中かからくる刺激のことである。よく、”虫のしらせ”や胸騒ぎなどというが、なんかおかしいと、潜在意識がそれを感じ取って、それによりドキドキしたり、胸が苦しくなるなどの内受容感覚が刺激される。鬱状態になっていると、これらの内受容感覚が脳に到達しにくくなり、自分の体が変調をきたしていることに気づかなくなる、いわゆる”心と体のバランス”が崩れる状態になると言われている。

外的刺激について面白い実験があるので紹介したい。以下は岡山大学病院ペインセンターホームページからの引用である。”アメリカの神経科医であるラマチャンドラン博士は鏡箱を考案し、健常な腕や手を鏡に映すことで、切断して無くなった手や腕がそこに実際あるように錯覚させ、視覚的な感覚を脳にフィードバックさせることで幻肢痛を和らげることに成功しました”。(http://www.okadaimasui.com/jp/virtualreality/virtualreality.html)。

上記の鏡箱の実験のように、錯覚を利用することで脳を騙すことができるが、外的刺激は錯覚かもしれないという可能性を意識することで騙されないように気をつけることができる。しかしながら、”我思う、ゆえ我あり”のように自分の内面からの刺激(内受容感覚)は情報としての信用度が高い。内受容感覚が、他者から支配されているとは普通考えられないからである。

例えば、映画のマトリックスのような世界を想像してみてほしい。キアヌリーブスは、スリープボックスのようなカプセル型の機械に乗り込み、精神世界と現実世界が入り混じったようなバーチャルリアリティー(VR)の中で敵と戦う。VRの中で受けたダメージは体には影響しないが、心には実際の生活と同様なダメージを受ける。

都市伝説的にドラえもんは植物状態になったのび太の夢で、実際は夢の中の世界で起こっているものがドラえもんの物語というのがあったが、自分も自分で存在しているように思うが、全て幻だったらどうだろうか?体は存在せず、リアルだと思っていた感覚だけが本物かもしれない。この世の中は物質としては存在していないのかもしれない。これは誰にもわからない。

コロナ禍で、人との交流が制限される中、直接的な人とのふれあいは制限される。ディズニーのアトラクションのように、水をかけたり、3Dの音響技術でリアルなサウンドを用いたVRが今後発達してくると、人間がネットゲームの中だけで活動するような時代が来るかもしれない。

ABOUT ME
Girimaro
40代脳外科専門医、救急科専門医、アメリカ留学経験あり 日々考えていることを記録します https://blog.with2.net/link/?id=2073035

PVアクセスランキング にほんブログ村

脳外科医のつぶやき(心のビタミン) - にほんブログ村

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA