日本の医療現場では、他院に患者を紹介するときに、紹介状やメールで相手の医師名を〇〇先生侍史と、〇〇拝と記載することがある。侍史とは秘書やお付きの人のことで、「この紹介状はあくまで、先生に直接渡すのは失礼なので、お付きの方に渡します」という意味合いである。さらには”御”侍史までつけている紹介状さえ見ることがある。”拝”というのは謹んでという意味で、相手への敬意を示す表現である。紹介状の前後数行はさらに、”いつもお世話になっております”や”今後ともよろしくお願い申し上げます”などの表現も追加されるため、実質必要な文章は半分にも満たないこともある。仕事をする上で相手への敬意を持つことはとても大切なことは理解しているが、かしこまる必要のない日常のメールでここまでする必要があるのだろうかと思う。
アメリカ留学中に上司や事務的なやりとりをすることがあったが、基本的にはシンプルで用件から始まり、最後に”Best regards”や”Sincerely yours”など名前の前につけることはあるが、日本の挨拶文よりは短い。アメリカ人は留学前にはファーストネームで呼び合い、フランクであまりヒエラルキーのない関係性が認められているかと思っていたが、ある意味日本以上に縦社会な部分もある。アメリカではレジデントという初期研修が終わると、 Clinical fellowshipと言って専門領域についての後期研修を医師は行う。このfellowshipを終えた後に、次のstaff positionを得るために論文や臨床経験を積む必要があるが、指導医からの推薦状もとても重要な要素である。日本では自分の推薦状を自分で下書きして、教授や指導医が添削して提出することも日常茶飯事だが、アメリカでは、ボスが直接、各施設に推薦状を送付することが一般的である。自分がAmerican board of clinical neurophysiologyの認定試験を受けた時には、自分のボスにお願いすると直接学会に自分の在籍証明と試験を受けるに足る能力があるかといった内容が記載された推薦状をメールしてくれた。要するに、アメリカでも当然礼儀は重んじられており、縦の関係性も厳然と存在しているが、メールなどのやりとりに関してはよりシンプルで、簡単な連絡については返事もしないこともある。アメリカのやり方を全肯定するつもりはないが、よりシンプルな方が仕事をする上では大切だと思う。
以前ヒクソングレイシーについての記事(400戦無敗!伝説の格闘家ヒクソン・グレイシー SPECIAL INTERVIEW (1)[大事なのは、勝つことではなく、絶対に『負けない』ことだ」. ダイヤモンド社https://diamond.jp/articles/-/9482)に書いてあったが、日本の武士道や侍について深い尊敬の念をヒクソンを持っていたが、実際来日してそのような文化はなく失望したそうだ。日本人は相手に対して、丁寧で敬意を持って接するがそれは臆病さからくるものだとヒクソンは考察していた。自分はこの考えはとても的を得ていると思っている。研修医の時は、何も考えずに、”侍史”、”拝”を書いていたが、これは上級医に目をつけられたくないなどの防衛本能から使うことが多く、必要のないシチュエーションでも迷ったらその表現を使っていた。もちろん、研修医がそのように振る舞うことは社会性を身につけたり、余計なストレスを感じないために必要かもしれないと思う。しかし、ある程度経験を積んだ医者が過度にへりくだる必要はないと思っている。相手への敬意を示したいのであれば、紹介状の内容をわかりやすく、丁寧に書けば伝わる。また、過度にへりくだることで責任逃れや言い訳をするのも、ある程度の経験がある人間がすることではないと思う。積極的に責任を負う覚悟を持つといった意味で、自分はこの”侍史”、”拝”を使わないように最近はしている。