「嫌な奴ほど出世する、収入が高い」ということは論文やデータで示されている。万国共通らしい。身の回りを見ていると確かにそうだというケースが多々ある。いい人は大体どこでも仕事ができるので、別の病院に移ったり、開業したりしている。また家族を大切にするので、無理に自分の出世のために家族を犠牲にして仕事を続けたりはしない。それではいい人はどのように過ごしたら良いのか?何をやりがいに生きていけばいいのか自分なりに考えてみた。
研修医の時の経験である。”A病棟は看護師は午後3時半以降の医者からの指示は拾いません”と師長が決めた。その結果、多くの医者はA病棟での仕事を先に済ませて、午後3時半以降も医者の指示を拾ってくれるB病棟を後回しにすることになり、結果指示を遅くまで拾ってくれるB病棟の看護師が割りを食うことになった。つまり帰るのが遅くなった。B病棟の看護師が不公平に思い、会議の結果午後3時半以降はどの病棟も指示を拾わなくなった。大元を正せば、指示を出す医者が悪いのだが、外来や手術でどうしても遅くなることはある。強権的に3時半以降はダメではちょっとこまる(A病棟の師長が言っていることは正しいし、大きい視点では看護師全体を守っている)。その後は、不必要な検査は先送りになり、本来医者の仕事でない作業を医者自身ですることになり時間外労働が増えたりした。あるいは優しい看護師さんが遅くまで付き合ってくれた。問題点としては、①B病棟の患者に必要な検査や処置が遅れる、②医者がそもそも指示を出すのが遅い、③B病棟の看護師が帰るのが遅くなる、④医師の時間外労働が増える、などが挙げられる。結果的には誰が悪いわけでもないが、困るのは時間外に働く”人の良い”医師、看護師、医療従事者である。病院や上司はあまり関係ないかもしれない。
基本的に職位が上にいくほど決定権が強く、意思が反映されやすい。この場合、例えば病院長あるいは看護部長の立場だとすると、流石にまずは患者第一なので①の問題で、より細やかな対応が必要な病棟の仕事が優先されると思われる。患者に不利益が被らない状況であれば、経営者としては④の時間外労働は気になると思われる。ただ、そのへんうやむやになっていることも多いとすると、実際問題としてA病棟とB病棟の看護師長の病院での立場が力学として関わってくると思われる。院長、看護部長により近い師長あるいは医師の意見が通るかもしれない。ここで重要なのは、悪い人は仕返しをするがいい人は仕返しをしないということである(ここではA病棟、B病棟は関係ない、一般論である)。みんな自分に不都合なことは避けたいので、結果いいひとの方が後回しにされていくのである。めんどくさい人とは関わりたくないので、結局そのような人の意見を聞いてなんとなく損をしたような状態になってしまう。組織の閉塞感は、結局いい人が声を上げないことが原因であるようにも思う。
日本人は不言実行や自分のことばかり言わないことを美徳としているところがあり、それは大切だと思う。この美徳は万国共通だと思う。また、みんな心のどこかで”お天道様がみている”と思っているが、お天道様は最後まで現れないことも多々ある。闇金うしじまくんの毒まむしがゴレンジャイのメンバーを拉致して、熱湯のシャワーを浴びせて拷問しているときに、拷問で苦しむメンバーを心配して電話口で「大丈夫か?」と仲間が電話越しで声をかけるシーンがあるが、拷問している毒まむしが「大丈夫!俺は熱くない!」と答える。悪人は自分に関係ないことはどーでも良いのである。結局自分の身は自分で守るしかないと思う。文句を言って、相手に面倒臭いやつだと思わさなければ、結局そのような人間に付き纏われ、食い物にされてしまう。
先日岡田斗司夫の面白い切り抜き動画(https://www.youtube.com/watch?v=vFo3Dxc5Y2E)を見つけた。最近信用スコアが世界で注目されているが、中国の芝麻スコアでは信用度が一番高いのは自己アピールの強い善人で、一般的に好感度の高い知られざる人徳者は信用度の評価は偽善者について3番目である。この評価方法が良いかどうかは別として、社会にとって有益なのが自己アピールをする善人というのが面白かった。確かに、長く組織に属しているといい人でいてもあまり得することはないように思う。それはやはり、みんなめんどくさい人と関わりたくないということと、年功序列の維持のため無駄が増えることなどではないかと思う。強力かつ有能な上司がいればお天道様を演じてくれるが、そんな恵まれた職場ばかりとは限らない。やはり、戦うことは忘れてはいけないと思う。声をあげるのは美徳だという雰囲気を作っていくことも大切だと思う。いじめっ子世にはばかる世の中ではいけないと思う。
あまり夢のない話をしたが、いい人でいることは本質的に幸せになる上では重要だと思う。いい行いをすることは自己肯定感につながるし、何より人から信用が得られる。最終的にトップオブトップになっている人は人格者でないと到達できないと感じている。世のため人のために何かを成し遂げようとしている人には、その人にもらったこと以上のことをしようと思うが、”自分のために働け”ではもらった以上のことはしないだろう。これからの世の中はある意味お金よりも信用が大切かもしれない。生きることが原始時代よりも簡単で、効率がよくなっており、生活のための労力は以前よりだいぶ少なくなっているのではないかと思う。多くの人は、人との関わりから幸福を見出すことが多いと思う(人気、協力、愛情など)。人間は自分が可愛いが、究極的に自己中を追求すると、究極の利他になるのではないかと思っている。いい人は、小さい視点では自分のために戦い、大きい視点では世のため人のために頑張るのが良いのではないかと思う。