医者のブログで一昔前まで多かったのが、留学体験記だったと思う。自分もアメリカに一年半程度留学していたのでその時の体験を残しておこうと思う。
自分は学生時代からなんとなく海外で生活したいなという願望があった。医学部に入ったのも、元々は高校生くらいの時に見たグレートジャーニーといって関野吉晴氏が人類の辿った道のりを自転車などの人力で踏破するという番組を見たことがきっかけになっている。関野氏は一橋大学の探検部?に所属していて、南米なんかに探検に行っていたが、現地の人にお世話になってもお返しができないため、医学部に入り直したというのを本か番組で知った。医師免許があれば、南極観測船や国境なき医師団なんかで海外に行けるのではないかという淡い期待も当時はあった。
大学時代は結局、探検っぽいことは何一つせずにダラダラ過ごしていた。医者になってから漠然と高校時代の淡い夢を思い出し、海外に留学してみたいと考えていた。あと研修医の頃にタイに旅行に行ったのだが、その時に外国人とろくに会話もできなかったこともあり、英語で自由に話せるようになりたいと思い、段々と海外への憧れが強くなっていった。
医者になってからも、海外留学が具体的になってきたのは大学院時代のことである。国際学会に参加させてもらえるようになり、全く違う文化に触れる楽しさを実感した。外国の医者はほぼ英語がスムーズに使えるが、日本人はあまり英語は得意ではない。ますます自分の英語能力の低さを実感するようになった。この頃は、YouTubeで海外のニュースを字幕付きでみたりしていた。大学院の終わりが見え出した頃から自分なりに海外留学への道を、具体的に模索するようになった。
とりあえず、先立つものがないと留学はできない。各種奨学金の募集要項を取り寄せたが、製薬メーカーなどの企業が出しているものは、だいたい学内の選考があり各施設での競争がある。当然学振の特別研究員なども競争が激しく、自分は大した論文、業績もなかったため選考を通過するのは難しそうだった。一昔前の先生は、大学での助教のポストで留学し、その間給料を留学費用に充てていたようだが自分の医局では期待できなかった。自費で留学することもできると聞いたので、ひとまず一年位なんとか自費で渡航してみようかと考えた。
次に留学先であるが、自分の場合、たまたま日本脳神経外科学会で流暢な日本語で発表しているアジア人医師を目撃した。発表内容も自分の専門領域であった。彼女はThomas Jefferson大学から日本に留学?していたようだった。Facebookで彼女の名前を見つけ、友達申請したらOKだった。たまたまよく年参加予定の学会がThomas Jefferson大学のあるPhiladelphiaだったので、これ幸いとばかりに会う約束をした。直接あって話を聞いてみると、彼女は中国人で日本の高校を卒業していた。Thomas Jefferson大学のことを色々聞いて、その後彼女のボスに連絡して見学に行けるところまでこぎつけた。
彼女のボスは自分の専門分野では大御所で、アメリカの機関紙のChief editorをしている。彼の部下を紹介してくれて、院内を色々と案内してもらい昼食もご馳走してくれた。もし自分が留学するとすれば、その部下の下について色々研究することになるが、どうやらMatlabというプログラミングソフトを使った研究になりそうだった。あまり経験がなかったが、自分はやる気になっていた。最後に秘書さんを紹介してもらった。リサーチフェローとして研究することはOKだったが、給料は出ないとのことだった。自分はある程度覚悟はしていたので、留学先で実績が積めればいいかと考えていた。
帰国してから、国内の奨学金を申請しようと思い、研究テーマの概要など教えてくださいと連絡したが音沙汰なかった。秘書さんにも連絡したが反応がない。とりあえず行くしかないかなと思っていたところに、別のところから急に留学の話が降ってきた。自分の専門分野では有名なクリーブランドクリニックのリサーチフェローのポストで、よくよく聞いてみると給料も出るらしい。代々日本人が、そこのラボで働いていて後任を探しているとのことだった。渡りに船とはこのことで、早速Thomas Jeffersonのボスに断りの連絡をした。
突然クリーブランドクリニックの話が舞い込んだように聞こえるかもしれないが、これには伏線があった。クリーブランドクリニックのラボのボスは日本人を探していたが、つながりの深い日本人の教授が、候補になりそうな脳外科医に声をかけていた。自分はその教授のところの大学院生の研究データの収集を手伝っていたことがあり、おそらくそれで話を振ってくれたのではないかと思った。人助けもしておくものだと思った。結局棚ぼた的に留学のチャンスが降ってきたのである。
留学したくても、チャンスがないといけない。アメリカへ留学するためにビザを取るのは難しい。自費で行くにしても、ビザを取るのにアメリカで生活できることが証明できる貯金残高やアメリカでの健康保険の加入をする必要があるし、かなりハードルが高い。自分の場合はクリーブランドクリニックがビザに必要な書類を送ってくれたので、大阪の領事館での面接は至ってスムーズに終わった。留学するのは、実力もいるが、行きたいアピールをして、努力を続ける必要がある。ドアを叩き続けないとチャンスは転がってこない。最後は運ではないかと思った。大人になってからの人の評価は難しい。必ずしも優秀な人がチャンスを得られるわけでもなく、政治的な要素や運も多分に絡んでくる。うまく、その波に乗れるかどうかで医者としてのキャリアが大きく変わってくる。行けるかどうかわからなくても努力を続けながらじっと待つ必要がある。自分はなんてラッキーなんだとその時思った。