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一般向け

SNSで注目されるために(個性とは?情報格差の消失、没個性の時代に)

SNS全盛の時代にあって、人からの注目を浴びることは今やビジネスになりつつある。注目を浴びることで、広告がつき個人でも収入を得ることができる。ブログももちろんその一部で、広く自分の考えを知ってもらうには記事を読んでもらう必要があり、ある意味読者を惹きつける魅力、すなわち個性的である必要がある。個性を発揮しようとすると人と差別化しないと埋もれてしまうのであるが、単純に奇抜なものをすれば良いかというとそうでもない。その人自身に確固たる自分らしさ、一次体験から得られた説得力なんかが必要だ。頭でっかちで見聞きしたことだけで全部を知ったようなことを言っていても誰も聞いてくれない(進学校の中二病や知識人、批評家など)。南アフリカのホホジロザメがウヨウヨいる海域にアザラシが住んでいるが、若いアザラシが度胸試しのような感じでその海域に突入することがあるらしい。若い個体は、動物でもそのような無謀な挑戦をすることがあるようだ。みんなに認めてもらうための行動かどうかは分からないが、自分で挑戦するには、それなりの動機や考え、覚悟が必要で、それから得られた成果や自信は何物にも変え難い。ジョジョの奇妙な冒険で明日やる明日やると言ってなかなか行動に出せなかったキャラが、”明日って今だ!”と言って敵に飛びかかるシーンがあったがそんな感じだ。個性を出すには勇気も必要である。今回は自分なりに個性の出し方について述べたいと思う。

インターネットの普及で情報格差はあっとゆう間になくなっていった。自分はインターネットが普及し出した2000年の前と後の両方を経験している。高校生の時はインターネットがないため、テレビが主なメディアで、マイナーな情報は主にBoonなんかのファッション誌や漫画の週刊誌で情報を得ていた。自分は地方都市の県庁所在地で生活していたので、まだ周りに最新の情報に敏感な人間がいたし、古着屋やセレクトショップがあった。エアマックスなんかのスニーカーやエビスジーンズ、ライダースジャケット、藤原ヒロシなんかが流行っていたがアホみたいに高かった。高校生の頃はお金がなかったので、夏休みや春休みに日通で引越しのバイトをして無理してそういったものを買っていた。当時は東京や大阪のこの店が有名でそこに行かないと手に入らないものがあったりした。高校生の頃は漠然と都会の大学に行きたいなと思って過ごしていた。こんな田舎に住みたくないと思っていた。

一方で、自分の住んでいたところからさらに親戚やばあちゃんが住んでいる田舎の方に行くと、農家の納谷にガンダムみたいな改造をして竹槍マフラーをつけた車が停まったりしていた。暴走族がまだいた頃で明らかに異質なファッションのヤンキー(ダサいジャージでダサければダサいほど尊ばれる)がいた。また、田舎のうどん屋に入ると地元の人と他所から来た人は明らかに雰囲気が違う。訛りも違うし、格好も違う、地元の中学生は基本ジャージを着ていて、家が遠いためヘルメットを着用して自転車通学していた。今では県外からの観光客が来て違和感はないが当時はただのうどん屋でもそんな感じだった。ばあちゃんの家の近くでは歩いて通行人に会うと必ず挨拶をしろと教育された。誰だ?と聞かれたら”〇〇の孫です”と言えと言われていた。

最近墓参りで田舎に行ったが、現地人の違和感がほとんど感じられなくなった。とにかく都会の人間も田舎の人間もみんなユニクロを着ている感じ。以前のような圧倒的な”都会のネズミ、田舎のネズミ”感がない。ひとえにインターネットの普及とどこに住んでいてもものが手に入ることが理由だと思う。おそらく考え方も均一化されており、たいして価値観や考え方も違わないのではないかと思う。マニュアル化が進んで効率がよくなったのかもしれない。また、見た目で貧乏とか金持ちとかもわかりにくくなっている。今更昔の生活様式に戻る流れにはならないだろうと思う。今までは個性を出してもローカルで受け入れられれば大丈夫だったのが、今は個性を出そうとすると、インターネットを通じてツッコミが世界中から入る状態かもしれない。

流行り廃りは必ずあり、いつかは人に飽きられる。1980年から90年の頃はイカ天のように奇抜であれば良いみたいなノリがあった(バンドのレベルは高い)が、だんだんそれがダサくなり、ビジュアル系に変わって、だんだんテクノ、ダンスミュージック、ラップなどが流行って、最近は”洋楽が好きな自分が好き”な人は減ってきて、日本語の歌を歌う人が増えてきているように思う。今の人の方が地に足がついている。ただ、一方で音や画像の加工が色々できるので演奏技術や歌唱力は下がっているように思う。布施明の国家やクリスタルキングの北斗の拳のテーマなんかの歌は恐ろしくうまい。森高千里のようなアイドルも最近はなかなか見ない。人に注目されるには、人と同じことや同じ考え方では違いが出ない。ただ、なんでも逆張りで天邪鬼なアイデアでは思想がない。それぞれの時代で良さはあったが、残っている普遍的な価値は限られる。

普遍的な価値というのはおそらくその人にしか出せない何かだと思う。”木村の前に木村なく、木村の後に木村なし”である。おしゃれ番長みたいな人か誰かがテレビで言っていたが、”さかなクンが一番おしゃれだ”と、要はその人にしかできないスタイルを確立しているということだ。芸術のような領域でも、大体テーマやスタイルが確立しており、同じものばっかり書いたりしている(虹、しましま、てんてんなど)。坂本龍一や岡本太郎の発言を聞いていると、彼らは理路整然としてり、作品に至るアイデアがしっかりしている。単に奇抜さを追求するのではなく、教科書的な知識も踏まえた上で、個性を発揮している。また、個性的な人は独自の経験だったり、それに基づく思想がある。強い言葉をもち、雰囲気で物事を語る。自分の好みや特性と向き合い、自分を磨いて行くことで魅力が形成されていくのではないかと思う。人生は現在進行形で目的がない。多分より良い理想に対する向き合い方だと思う。挑戦し続けるということではないかと思う。そういったものから個性は生まれてくると思う。

ただ最近はもっぱら、そういうのに疲れて同じ服ばっかりきているが。これ10年前から着てるなという服が多い。
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Girimaro
40代脳外科専門医、救急科専門医、アメリカ留学経験あり 日々考えていることを記録します https://blog.with2.net/link/?id=2073035

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